なないろの音符たち

バイオリン&ハープ、日本&ロシアのつれづれ日記

『小公女セーラ』のような本当にあった話

親戚にそんな人がかつて居たとは思ってもいなかった。

『小公女』は、小学校の読書感想文でちょうど読んで仕方なくどうにか書いた、、
その後アニメで『小公女セーラ』をじっと見ていた、、
インパクトのあるお話で、セーラが偉くて印象深かった。ハッピーエンドで良かった。

でも、ダイヤモンド鉱山で出る・出ないの逆転劇があり、失敗したお父さんが死んでしまう(その後出た)、
悲しみのヒロインなんて、物語の作り話っぽい。
まれな空想のまったく関係ない世界と思っていた。

親戚から聞いた話だが、しかしそのセーラのお父さんに、私の曾祖父がそっくりだったようだ。

🥇🥇🥇

私の父方の直系は武士で、城の祐筆を代々務め、
殿から賜った刀や大なた等が沢山残っていた。
その後も公務員や教員など長男系はまじめ気質な人が多かった。

そのなか私のおじは異色で、〈鉱山の父〉に一番似ているから心配だ、とよく言われていたそうだ。
おじから聞いたその鉱山の父、おじの祖父、中山の話。

🥇🥇🥇

この人物は、北海道銀山(後に金も出た)を買い、
沢山の人を雇って鉱山発掘をしていた。

青山御用邸のお隣りの屋敷に住んでおり、

旗あげしてはそれーっと北海道になだれ込み、
鉱山を掘るのだが、ほってもほっても出ない。

数カ月してやむなく戻ってきて、また陣を立て直し、人を集めては北海道に乗り込む。の繰り返し。

祖母は、スイスの奇麗な仕掛け時計が
お家にあったり、急になくなったり、(質屋。)
学校を7度も転向させられたり等、苦労したそうだ。
その父親に息子が似ているようでは
確かにさぞや心配したろう。


ついに、出るはずの銀は出なかった。

みんなの不審も募ったのではないか…

とうとう曽祖父は、北海道で病気になってしまった。


そして亡くなる前、銀山を人手に渡したのだった。


次に買った人が掘ったらもうすぐに、銀がたくさん出てきた。そのうえ金も。

曽祖父は、あと一歩!の所で惜しくも亡くなってしまったのだった。(泣)

一代では大変な大仕事だったのかもしれない。
息子がなく、娘たちしか居なかった。

当時買った人は、これは前任者の賜物だと言って
沢山分けてくださったそうな。
(その人も偉い。幸運だし、更に幸せになられたと思う。)

それで曽祖父の妻は人員に配り、残りの大金を
大きな壺のぬか漬けの底に何壺も入れて保管し
その後を生活したそうな。

もちろん出た物は曾祖母家が使ってしまったから
私達には何も無い。


🥇🥇🥇


本当にこんな話、あるんですね。

それも日本で、私のたった3代上の身の話とは。


この事からもセーラのお父さんの身の上は、どこかに本当にあった話で、
そこからバーネットは書いたのかも?と思いました。


小学生の時こういう事を知っていれば身につまされて、
しぶしぶでなく何か違った感想文が書けていたかもしれない。。

🌿

Mihoko Nakane Kandinsky



次回は、明治〜大正に天皇の御所に上がっていた
(今出の)中山家の祖母や曾祖母、
その上の母の話を書き留めたいと思います。

アラフィフの 寂しがり屋

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コロナの間も 楽器は弾けて良いけれど
小さい頃や 青春時代を思い出す

お祖父さんが居て お祖母さんが居て
お父さんがいて お母さんが生きていて
おじさんと おばさんがいて

そうして姉と私と妹が生まれた

皆に囲まれていた 明るい日々
あの頃は みんな居たね

今残っている上の代は 僅か
老人ホームの車椅子の父と おじだけだ

でも私たちは結婚し 子供たちがいる
もう子供たちが 青春時代に入っている
(既に虹の橋を渡ってしまった子も)
私はかつての 母や伯母の年になった


その間 色々な事があった

ロンドンの どこを一人で歩いても
背筋を伸ばし キラキラと輝いていた青春時代
やることと不安と 未来がいっぱいだった頃


巡り巡って今 私は幸せになれた
家庭をもち 働いて みんなのお世話をしている
実家のこと 父のこと 夫のこと 子のこと
家のこと 地域のこと 妹のことも心配したし 生徒さんの進学のこと…

おじには大変お世話になったが 返せるものもなく これ以上甘えられない。


けれど 私も 誰かに 少しは 心配してもらいたい


『それは…ジュディのことが 心配なんじゃないのかな』

ジャーヴィスの この言葉いいな
物語の中とは言え、うらやましい。
ジュディは不幸を我慢した挙句なのだから、良かったけれども。
私も『あしながおじさん』のこの言葉、貰っておこうかしら…?

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私はと言えば いったい夫に心配されて守られているんだろうか?
私がいつも守っている気がする
心配して お世話して 奔走して セットして 働いて…
日本に慣れてきたら もう自分でやってと何回言ったか。
でも私の務めは これだったのだろうし、
そうする事で自分も守られて来たのは 勿論分かっているのだけれど。。


私は今度フィフティ
もう本当に 夏が終わり 秋が来る
暑い夏が終わるのは 今まで嬉しかったけれど
人生の夏を終えようとするのは もう青春を遠くに失うようで寂しい。

心(思い)はいつも 青春のはずだけど?
体の時間は そうとは言わないらしい
時は流れるが、すべては有限なのだと…

笑っている思い出の写真が 
フレームに区切られるように
私の時間もまた 切り取られるのだ


そう、14歳の頃に描いた この絵※の私は 
またトンネルをぬけて
どこか次へ 行くのだろうか…?


※あの時 暗中模索で 半分は輝き 半分は暗い
見知らぬトンネルに入って行く私。
不安やエネルギーや未知がいっぱいだった

それがもう 息子の年となった。

今は出てゆくのも寂しい。。





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2021.5月

誕生月が近づく雨の日に

アラフィフの想いとは こんなものなのだろうか…

復活祭に思うヘンデルのVnソナタ第4番

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だいぶブログを書いてなく、
久々に開けたらふつうに入れず(?)
もう一つアカウントを作りかけてしまった…
みんなマメですごいと思う。。

GWには時間があるハズなので、何か書こうと思いたち!♪
(あるはずの時間も、この頃疲れやすくなったのか、無くなりがちなのですが…)


折りしも先の日曜日は、復活祭。⛪

(オーソドックスチャーチは旧暦で今年は5月2日です)

復活を一番直に見るようだと思います楽曲について、
ひとつ奮起して書きます。

ヘンデルのバイオリンソナタ第4番です。

🥚✟

ヘンデル(ハンデル)と言えば、
メサイヤの作曲家として知られ愛聴愛奏の方も多いですよ ね。私もよく弾いた曲でコンミスもやらせて頂きましたが、その時はまだクリスチャンでなかったので、キリスト教については物語題材とか背景とかバックグランド…程度にしか思っていませんでした。
それでも、毎回涙が出るくらいたいそう感動していました。

🥚✟

その後お導きにより、クリスチャンになる事ができました。
学生時代、私は日本人なのだからやはり仏教かなと、何度か法隆寺夏季大学で仏教を学んだ後、
ホームステイ(全無料!)のイタリアでカトリックの浸透に影響を受け、ロンドンに帰って受洗し、日本に帰ったらとプロテスタントを紹介していただき故郷にて通い、結婚するためにまたモスクワでロシア正教を受洗し、その後は横浜のハリストス正教会へ通っております。

🥚🍀

バッハなどのバイオリン曲を弾くときに思う神様のこと・Gloryは、演奏によって音に表わされるべきであり、それこそ演奏家の役目だと思ってきました。

と言うのも、私が中学2年生の頃に遡り、レコードでシェリングの弾くバッハの「無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ」を聴きおえた時、一言
「あぁ、神さまっているんだな。。」
とそこで妙に信じたことが発端かと。

バッハは毎回曲を書き上げると、「主に栄光」とサインし作曲により表しました。当時は知りませんでしたが。

🥚✟🍀

その後また14年たちクリスチャンになって以来、僭越ながら私は音楽でお伝えできればと思い、教会などでよく演奏させて頂きました。
言葉で直に奇蹟を言われ、理解できず拒絶するよりも、音楽で感覚的に体感していくと、私がメサイヤで下地を積んだように、後で
「あぁ何たること、そうだったのか!」
と霧が晴れたようになる。

そのため出来る限り音に込めようとしてきました。
が40も過ぎたある時、もう言葉でも、言ってみようかなと思いたち、、(自分で表せる演奏に限度を感じたんでしょうか?)
母教会でのコンサートでこの曲をお話して演奏しました。するとお世話になった岩井牧師先生がとても喜んで下さいまして、音楽を聴いてこれ以上嬉しかった事はないと…(聖書の関連でですね)

🐣🍀

その内容を書きますが、勿論様々なご意見もあると思います。
時々、どこにそんな文献あるのかとか聞く方がありますが、今回は音楽上の私のお証しです。

音楽で神や王を褒め讃えることは、メサイヤのようによくありますし、熱心なヘンデルがバイオリン曲でも暗に書いたかも知れないことは、理解に難くないと思います。
そもそも音楽とは神様から人間へのプレゼントであると同時に、古代、人間から神への祈りと賛美に歌われ、発展したと言っても過言ではないかと思います。ので教会音楽(+ある程度までのクラシック)の音楽家は、神に背を向けた者では務まらないと考えます。(もちろん神に出会う途上は大切)

🐣🍀

今は復活祭から3日後、光明週間に書いており、
特に復活のテーマである第4楽章について書きます。
順に見ますと

🍀✟ 第1楽章
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アダージョのテンポのイントロダクション、
アフェトゥオーゾ・愛情のこもった、セリオーソ・信頼すべき と書かれ
おごそかな誠意をもった挨拶、上への礼拝、王または主への賛美に感じます。

これをグリュミオーの美しい音で聴いて感動しました。

🍀✟ 第2楽章
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アレグロは、より現実的になり、主の生誕、降誕祭がテーマではなかろうか。
至る所にクロスが使われ大変輝かしく、また「救い主が生まれるよ」という御使いのお告げ、活き活きとした歓び、刻々と細かく迫る時間や大きく立派な流れ、待望感が感じられないでしょうか?

 ⇒ルカ第2章8ー11節

🍀✟ 第3楽章ラルゲット

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これは、一連の流れから予想できるように、十字架上での受難を表してはいないでしょうか。
 
⇒ルカ第3章46ー48節

ヘンデルはこの曲を一番輝かしいとされるニ長調で表し、もっともであります。しかし3楽章のみ、その平行調ロ短調で書きました。これもあまりにも似つかわしく迫り、私は弾きながら泣いてしまいます。(本番は泣きませんよ。)

その訳は…フレーズのため息、最後の息、タイの我慢とふるえる涙、一音一音あがる切実な祈りを感じます。
アクセントは、(神の子が罪のためでなく人間の贖いのために受けたとされる)痛い傷と思いの傷のイメージもするので弾くのはとても痛々しく辛い。
そのなか、短調でのスローモーションの三拍子も、悲しく美しく高雅です。(口で簡単に言うほど、高雅に弾けたらよいのですが…)

ロ短調は、よくミサ曲や葬りの曲、瀕死、瀬戸際、土壇場に使われたりして大変印象深い調ですが、自分だってもしその時に臨めば
(まぁお迎えを待ちくたびれてこれでやっと死ねると喜ぶのでなければ、または若くして道半ばで逝くのでなければ、)目前の死に瀕し、ロ短調モードになるかなと思います。


🍀✟
長くなってすみませんでした、やっと第4楽章です。

これは三拍子のアレグロ
勇気が戻り、鼓動が高鳴り躍動感あふれ、足を踏み踊り祝う感じがいきなり最初から出て、
フォルテに続くピアノのくり返しも、溢れる歓びが内にこだましているかのようです。皆にいそぎ知らせに走り、栄光と感激に浸る感じ!

そしてリピート後。
属調イ長調へ5度はね上がりますが、
どうしたのか、ここだけ急に、お休みが有ります。
子供の頃、はじめて練習した時からこの曲は好きでしたが、いきなりの休みがふしぎでした。
(何だこれ? ま、休めばいいのね。)
その後なになにと追いつき、ロ短調に戻ってしまいます。

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大人になってから弾くと目の前に聖書の光景が啓け、一気にタイムスリップ。暗いなかで輝いています。

ヨハネ第20章27ー29節

それは…復活の後キリストが初めて現れた場に居合わせなかった12弟子のフォマが、
後から遅れ馳せ、弟子から復活の知らせを聞く場面です。
「そんな事信じない、自分はキリストの手のきず、脇腹のキズ跡に手を入れてみなければ信じない!」と。その後キリストが現れ、そうしなさいと。
ロ短調のフォルテ、劇的です。
フォマはそうしてやっと信じ、復活の歓びに与り
ニ長調に戻ってクレッシェンドします。

そうしてニ長調のテーマがオクターブ上で高らかに鳴り、さながらメサイヤの輝かしいトランペットのように響きます。
弟子たちの歓びや福音の足音を思わせ、めでたく曲は終了します。ジャーン


✨✨✨


如何でしたでしょうか…?

もし、ヘンデルがこれを意味して書いたならば、ヘンデルは私に「よくわかったね。」とか「よく休符のなぞを解いたね」と言ってくれるでしょう。♡ ダメ?

もし、ヘンデルが意図していなかった場合、
霊感が天才へそれとは知らずに書かせた、かもしれません。

もし、それでもなければ、一つの水が色々変化するように、食材は色々な料理にかわるように、芸術は奥深い多面生で様々なアプローチが試みられるので、
信心深い(?)人にはちょうど信心深く映るもの。ヘンデルさえ驚いているのではないか?と微笑っていただければ幸いです。



以上ヘンデルでしたが、
この他、
フランクのバイオリンソナタイ長調も似た構想があるのではと思います。
それを弾いた舞台上の事(一生に一度の経験)も、いつの日か書きます…
(もう2度と、あんな目に会いたくないけれど、ところがすごいことに…!でも信じられない人も居ると思うから書きにくい。)



長くなりましたが、最後まで読んでくださり有り難うございました。
読んでくださった方のお幸せを祈念したします✨
私のことも、お祈り頂けましたら幸いです。
また、他の楽曲についても思い当たれば教えてください。

最後に、フォマの聖書箇所を挙げておきます。

(文語なので漢字をかなにしておきます)

ヨハネ20 章
27節
フォマにいう、なんじの指をここに伸べて、我が手を見よ、なんじの手を伸べて我がわきに入れよ、信ぜざるなかれ、すなわち信ぜよ。
28 節
フォマ答えて彼にいえり、我が主よ、我が神よ。
29 節
イイスス彼に言う、なんじは我を見しによりて信ぜり、見ずして信ずる者は幸いなり。

(この聖句をはじめてお説教で習った時の感想)
私は見ないで信じたのだから、幸いなのだな。
でも音楽で何度も見せてもらったようなものだから…


「ハリストス復活、実に復活!」✨

ジョナサンに教わったバイオリン演奏の秘訣

ジョナサンはたしか台湾人だったと思う。

先日台湾出身の方にお会いして、ジョナサンの思い出が突如としてよみがえりました。
あれから23〜4年位も経て、今、くっきりと…

※※※

ジョナサンは一見日本人に見える、イギリス育ちのアジア人だった。
知的で素敵、美形と言われない美形、強烈な個性はなく全般によい人、キリッとして整っていた。

時々図書館で会っても、集中していて話しかけにくかったが、同じバイオリンで、同じクラスがあった。

そこで少し聞くと、オクスフォード大学を卒業して、ロイヤルアカデミー(RAM)に来たのだそう。

オクスフォードでは何を専攻したの?と聞くと、
「ロー。」
まあ、オクスフォードの法学部から、音楽の大学院?
「うん、〇〇教授が呼んでくれて。それなら来てみようかなって。」
(イイわねえ…その余裕… 私なんて必死で来たのに…)

そのジョナサンは、公開レッスンで
ブラームスのバイオリン協奏曲を弾いていた。

それがまた完璧で、何の不自由もなく、指は揃い、弦にピッタリ。暗譜の問題など無論なく、姿勢は安定、音が良く、均整のとれたタイプ。
その上で、ブラームスらしいのが一番ニクい。
レコードを聞くようだった。。

先生にも褒められ、
もう一回弾いてとか、先生も喜んでいるだけ。

私…この曲、、じつは今一生懸命練習してるんですけど…、弾けば弾くほど難しく、
もう今度の卒業試験で弾くんですけど!

クラスの後で私は謝りに行っちゃって。 
(試験、私も同じ曲なのだけどヘタでゴメンネ、気にしないでね、みたいな?)

そしたらジョナサンは、
「いや、試験は他の曲を弾くんだよ、気にしないでいいよ、」とサラリ。アラ余裕〜〜
その実力、一曲でも分けてほしいー!

※ロイヤルアカデミーの卒業試験とは 
 弦 1998年当時は
 45分のリサイタルと
 コンチェルト一曲
(近くなるまでどの楽章を弾くかわからない)
 でした。

 彼はいったい何弾いたんだろ。あんまりサラリと言われると次を聞けないが、端正で正統的なところはBeethovenなんか似合うかしら。
試験は公開されてもいたが、私はそれどころではなかった。

しかも私は音大で4年間がんばってきたのに拘らず、ジョナサンは法律を猛勉強しながらバイオリンを習ってきたなんて〜(居るんですよねー、すごい人って。。)

弁護士になろうか、音楽家になろうか、どうしようかな、やってから考えると言っていた。私が聞いたからだけど…
才能違い過ぎ…↗↗ ⤵⤵


その時私はよく思い切ったものだ。

私の演奏に助言してもらえないかと聞いたのだ。
「じぁ、 今ちょっと空いてるから」
と軽くOKしてくれて、(Wow!!)
二人で近くの空き部屋に入った。 

・・🚪・・

むろん、私は先ほどジョナサンが弾いた曲をすぐ弾いた。
出来は雲泥の差。
さしずめ高速走って《抜かしていく》高級車と、
路地に《とまってる》愛着あるポンコツ車、という所か?ww

車ならどっちがイイなんて、好みだけれど、ここは音楽院。よく恥ずかしくなかったな、と思うが、それ以上に困っていたからかもしれない。

私は、ビブラートの速さが…とか、私の指は…とか、和音が…とか、ブラームスの弓の圧力が…とか、でも私の弓の張りは…とか、、色々な点について訊いた。

ところがジョナサンは、そんな事にいっさい返答せずそっけなく次々と聞き流し、ただ、こう言ったのだ。

「君は、自分の弾けないのがどうだとか、困っている所をどうしょう、とか言っているけれど、それは関係ないよ。」   
   
(えっ 関係ない…? こんなに大変なのに?)

「ただ、『自分がこうなりたい!』
それ『だけ』をイメージするのさ。
そしてそれに近づくのみだよ。」

あの時それを真剣に言ってくれたジョナサンを思い出す。
それだけが、重要だと。

もうちょっと何かお話してみたかった気もするが、、
それ以外言う事のないジョナサンは、じゃあねと部屋を出ていった。

・・・🚪・・・パタン

行っちゃった。なんか淋しい… 
それにごめんね〜こんなレベルのお見せして…呆れられたかな?
車なら、走りが違い、走ってる場所も違うけど、もとの車からして性能違う・・・よね ガク⤵

確かに、出来ない所を認識していると、「認識」が更に「出来ない」を生む。

だから、日頃「いえ、ダメなんです」とか「私〇〇なので出来ないんです」なんて言葉を発するのさえ、脳が認識してしまうので控えねばならない。

それ以来、
私も考え方を改めて、ひたすらイメージに近づこうとしてきた。

なかなかジョナサンの言うほど出来たかわからないが、その言葉はバイオリンだけでなく色々な物事に通じるので、私の人生に役立ち、自分のイメージに驚くほど近づけたと思う。(以前より!の意)


自分の思う人生に、近づき歩む、か・・・


それこそジョナサンは、あれからどうしたろうか。。

ロンドンのシンフォニーオーケストラに入ったら、すごく楽に弾けてるだろう。
(そのオケLSOには他に、卒業と同時にサブコンマスに抜擢された同僚タマーシュも居る。)


私は、ジョナサンは、、
弁護士になった方が良いと思う。彼はそうしたかも知れない。

無論収入の面もあるが、
まずソリストになるなら、あまりに苦労知らずに正確にサラサラ弾けて、目を見張り、感動もするのだが、逆に、感動しないかもしれない。
「その音」が出ているのだが、まるで出ているように見えないかも知れない。
それに、「何としてもなりたいんだ!」という強い個性と想いも必要。

もしプロオーケストラに入るなら、あのタイプは何でもござれだ。
しかし、同時に大学などでも教えるとなると、、彼は楽に弾けすぎて教えられないと思う。
弾けない人のことが解らないし、もしかしたら、日々我慢できないかも…

毎週毎週、生徒へのレッスンで
「君は、君のイメージに向かわなくちゃダメだよ。
それだけを考えるんだ!それこそが重要だよ」

もね…(笑)


彼ほど、バイオリンを弾くに何の障害もない手指をしている人を、私は自分の先生も含め見たことがない。

丁度よい太さで、丁度ピッタリのビブラートがかかり、
小指も全て同じ向きの指で(!)、どの音も均一に押さえられ… (少し分けて!)

もし、ジョナサン〜〜という名の知的なバイオリニストか弁護士を見かけた人がいたら、教えてほしい…

ちょっと、若い時のチェンバリスト中野氏に似ています。

✨✨

今思い返せば私のなかで、ジョナサンの言葉は成長していたのだと思う。
ジョナサンはもうとうに忘れているかも知れないけれど… あの時は有り難う、ジョナサン。



2021.5月加筆しました

『なないろの詩』(黃)たんぽぽの空

f:id:MNakaneKandinsky:20210301153930j:plain(黃) たんぽぽの空   by 美帆子

陽の光をいっしんにあつめた
まあるい黄色いカーペット

ミツバチやてんとうむし 春の虫たちを
しばし憩わせてあげましょう

でもわたしもほんとうは 空を飛んでみたい
遠くの知らない所へ行ってみたい

そう夢みて 太陽の子たんぽぽは
空にむかって伸びをしました

するといつしかふわふわの
白い綿毛になりました

春の宵の 月のようにぽっかり浮かび
日ごとに風に欠けてゆくと

まあ!いっせいに 浮かび上がったわ
あこがれの空を 飛んでいる!

けれど みんな思い思いに行ってしまった
私はブランコの近くに 降りましょう

いつの日か そこでまた花咲かせ
新しい春に 笑顔を贈りましょう



2021.2.18.

『なないろの詩』(白)こひつじのゆめ

(白)こひつじのゆめ     by 美帆子

羊が一匹 羊が2匹・・・
夜眠れない人は あたためたミルクをのんで
ベットのなかで 羊を数えています
なぜだかわかりませんが 思いついたのです
空のうえの雲のような
ふわふわのやさしい羊は
夢心地のいい枕になるのでしょうか


丁度この時 こひつじも 納屋で夢をみていました
揺りかごのなかで 眠っている赤ちゃんの
仔羊枕になっている たのしい夢です


夜眠れない人を寝かしつけに
夢のなかに行ってあげているお母さん羊のように
こひつじも 大きくなったら誰かのためになりたいと
ゆめみて眠った夜でした


🌠🌟🌠



2021.2.18.

♪この日、机に「仔羊報」という案内が来ていたのを見て、
「仔羊」はいいな、何かできないかしらと思いお風呂を待つ間に作りました。
小さい時、可愛いアニメの『ラムジー』が好きだったのを突然思い出しました(笑)🐏🐏🐏

ほっとひと息…

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コロナに直接関係はない…が、間接的にはあるような
ある事件に、ひょんな事から遭遇し、
2020秋から4ヶ月程ハマって参りました。

それも遂にやっと、ひと区切り。はあ〜〜

偶然の出来事にも最善をつくそうと、ずいぶん頑張りましたが、、
結果は、骨折り損のお疲れ様。

何か良かった事、あるのか?分かりませんが、、
私としましては、人生はオセロ(ゲーム)のように
白は黒、黒は白に やがてなる
と思っているので(塞翁が馬と申しますか、)
今回〈黒〉となりショックではありますが、
あまり、落ち込んではおりません。
逆にいつか、どこからどうやって、どういう風に
白に成ってゆくのを見られるのか、楽しみではあります…
いや、実際に今、困っているんですが、、
もし何かに成功した時も、有頂天にならず
まずは感謝して、微笑んでいたい。。

さて大変な思いをした決別に、
そしてこれから方向が変わり
(いつか何か)来るであろうラッキーを祝い
久しぶりに行きつけの店へ。


本厚木のカフェDANKE、おすすめです♡
ドリンク これはカフェ・オ・レ
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生乳が豊かでフレッシュ、コーヒー全体にマイルド。
コーヒー好きなのにあまり強いの飲めない人、
といって薄いのはNGな人にピッタリ。私ですが😺

カップは ROYAL ALBERT の December を選びました。
これは前回も選んだかも♪野ばらと赤い実が可愛い♡

ランチは
「玉ねぎのキッシュセット ミニサラダ付き」
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やっと行くとつい、値段の割に大きい方を頼んでしまい(笑)食べたかった方を食べそこねるので、
今日こそは、小さく見えても食べたかったのを注文!
キッシュは生地サクサク、中の玉ねぎがトロトロであゝ美味〜。

ケーキはチョコレートの「シュムック」

プレートは私が着ていたエンジのセーターにあわせ
ディープレッドのを持ってきてくださいました。
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ケーキはキメが細かくてしっとり深く、甘さ控えめなのでアイスと似合う。こういうのが食べたかった。

3品セットで1380円。これだけ癒され、高くない!
(※時間は3時までかな、単品では割高、ランチセットのみも有り)

これで私はリセットされました。また新たに始めよう!
今日は銀行・郵便局まわりを父の分もして、
父のお見舞いと必要品持参、
図書館と区役所、さらに初めて警察相談まで。
本厚木に平塚、新百合ヶ丘と、
これだけ廻れば太らないですむかしら?
どこも親切丁寧な対応で、日本は良いな。(政治以外💨)
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また来れると期待して、もう帰ります、遠いので。

コロナ中でも生花が活けてあり、
トイレ・洗面も花模様・花&シェル型には驚きです。
(撮ればよかった?)

ロンドン・ノッティングヒルティールームとよく似ています(以前よく行っていた)のも、私にはグッド。

かかっていた音楽 今日は全てモーツァルト

  バイオリンとビオラの協奏交響曲
  バイオリンコンチェルト第5番
  アイネ・クライネ・ナハトムジーク
  弦楽カルテット「狩り」
  ピアノコンチェルト
でした。
ピアノと5番以外どれもステージで弾いたの思い出すわ…

あの時…このダンケの道をぞろぞろ歩いて
 文化会館に行った同期の仲間の
  今はもう空の人を、偲びます。。

  この道の26〜29年前に一気にスワップ
   今も笑って 一緒に歩いている感じ。

    あの時のAちゃんの お母さん位の年に   
     もう私はなりました。

でもこの街は そんなに変わってないよ…
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小田急線 本厚木駅そば
カフェ『ダンケ』からでした🍀
By美帆子